2024年10月 北海道

 同人詩の会(59ごくう)に誘われて、札幌に行くことにしました。せっかくなので、ついでに旭川方面を回ってきました。

10月3日(木)

セントレア(15:30発)→新千歳(17:10着18:18発)→札幌(18:57着)

4日の会に備えての前日出発でしたが、家で飛行機までの間が持たず13:05にはセントレアについていました。そこで明日の会のメンバーの詩集をじっくりと再読。贅沢な時間を過ごしました。

10月4日(金)

市内巡りの観光バスに乗りました。半日コース。

北海道神社→大倉山スキー場→白い恋人パーク→市場

バスを待っている間、バスのガイドさんが「ノーノー、ノースピークイングリッシュ!日本人だから日本語しか話しません」と元気よく外国人に向かって言っていましたが、乗ってみたらガイドは4か国語対応のヘッドホン放送でした。確かに、ガイドさんは英語を話さなくても問題ありません。本当に外国人観光客が多いツアーでした。札幌は何度も来ているのですが、ガイドをしてもらったのは初めての経験でした。(白い恋人パークの訪問は3回目)午後は北海道文学館へ。

17:45「59の会」の食事会に参加しました。金井雄二さん、岩木誠一郎さん、伊藤芳博さんという1959年生まれの詩人の会で、そこに札幌の詩人海東セラさんと私の五人の飲み会でした。楽しく詩の話などして結局10時くらいまでいました。

10月5日(土)

札幌(9:00)→旭川(10:25着12:33発)→塩狩(13:07着)→比布(15:38発)→旭川(17:53着)

塩狩峠記念館に行きました。

塩狩から和寒までJRで行く予定だったのですが、そうすると旭川に戻るのが18時になるうえ、和寒も閑散としていそうだったので急遽隣の快速が止まる駅、比布までバスで戻ることにしました。ところが乗換案内ジョルダンで調べたバスの到着時間14:59を過ぎてもバスが来ません。あらためてバス停の時間表をみたら、10月1日から時間変更になっていました。次のバスは2時間後!JRは5時間後。仕方がないので記念館に戻ったら駐車場にこれから出ようとしている親切そうな(!?)ご夫婦が。塩狩峠記念館に来る人に悪い人はいないはず、と思って比布まで乗せていってくれるようお願いしました。

本当に親切にしてもらいました。おかげで15:38発の快速に乗ることができました。

ルートイン泊、朝食付き8100円。満室だったので二連泊できませんでしたが、それでよかった、と思う一夜でした。

 

10月6日(日)

旭川(9:15)→バス→旭岳(11:03)

旭岳(15:55)→旭川(17:33)

旭岳にロープウエイで登りました。朝は寒くてエアコンもきかなかったのでたくさん着込んで出かけました。8度。ライトダウンを持ってきてよかった。

 

大雪山と旭岳の関係がわかっていなかったのですが、やっとわかりました。大雪山という一つの山はなくて、山系なのでした。山を歩くつもりは全然なかったのに、気が付いたら散歩道を一周していました。

10月7日(月)

旭川(8:55)→バス→アイヌ記念館(9:07着10:41発)→旭川(11:04着)

旭川(11:40)→バス→兵村記念館(12:10着12:46発)→旭川(13:23着)

旭川(14:00発)→札幌(15:25着15:33発)→新千歳(16:17着19:20発)→中部国際空港(21:05着)

駅にとても近くて快適なワイズホテルに(エアコンもきく)1泊、素泊まり6300円。

旭川も何度か来ているので、今回は行ったことのない「川村カ子トアイヌ記念館」に行きました。

歴史を知れば知るほど人間のしてきたことの恐ろしさに目をそむけたくなります。

旭川に戻って今度は兵村記念館に。ここでは北海道開拓の厳しさを学びました。

回送のバスは「すみません」とあやまって走っています。とはいえ旭川のバス停は数字だらけで、バスの来る時間、着く時間、バス停の番号そして行先の番号、乗車料金で頭の中が数字だらけになります。それでなくても記憶力が衰え始めている私は何度もメモを確認しなくてはなりませんでした。

兵村記念館のとは旭川の町を散策するつもりでしたが、小雨が降り出したので中止して早めに空港に向かいました。またしても空港で贅沢な読書時間を持ちました。

2024年9月 飯田線

 8月末に一日中電車に乗るという旅を計画しました。三河東郷から伊那市まで約5時間、ただ乗るだけ、そして、伊那市で一泊した後そのまま帰ってくるという計画。とにかく暑い、でもどこかに出かけたいという気持ちで切符も買っていたのですが、のろのろ台風に翻弄されて、ただでさえ止まりやすい飯田線が運行中止になりました。切符はそのままで一か月ほど後倒しに変更してもらいました。そして、9月末ならもう暑くない、町を歩けると気が付いて、もう一泊することにして出発しました。

9月26日(木) 

藤が丘9:15発→(豊鉄バス)→三河東郷(10:27着 11:27発)→伊那市(16:45着)

ゴミやゴミのような本やクモの巣のはる三河東郷駅で50分待ちでしたが、何回か「遅れています」の放送が入り、結局6分遅れで到着、10分遅れで出発しました。遅れていてものんびりしている、さすが飯田線!と妙に納得の出発。もちろん遅延の理由も放送されませんでした。飯田線だからいいのです。

 

途中懐かしい小和田駅を通りました。雅子さまブームの時、この駅がマニアに注目され結構たくさんの人が立ち寄ったようでした。(わたしもその一人で) 駅には色あせた「恋愛成就」の柱が残っています。

天竜峡あたりまで無人駅が続き、駅の近くさえ民家のない山の中を走ります。トンネルも多い。読書が進みました。

 少し乗客が増えてきたと思ったら、ビールのにおいがしてきました。前の席の窓ガラスに缶ビールが映っています。そして、次に乗ってきた男性が進行方向とは逆に座って、ビールの男性に声を掛けました。「一人旅ですか、どちらから」「大阪」「飯田線に乗るために? いいでしょ」「これからどこに?」「松本に」。あまり話をしたくなさそうだと判断したのか、声をかけた男性が前方に移動すると、通る人と通る人がビールの人の席を見ていきます。なにごとかと思って覗いてみたら男性がリュックの荷物を全部広げて、トイレットペーパーで座席下を拭いていました。気が付くと私の足元に(水?)が流れてきていました。電車が動いた拍子にペットボトルが倒れたということでした。優しそうなおじさんでしたが、お気の毒なことでした。手伝ってあげればよかった、とは後になって思ったことで。

 だんだん日が西に傾いていきます。電車に長く乗っていると時間の流れを、太陽の動きで実感することになります。

伊那市についてすぐにチェックイン。ホテルセンピア、朝食付きで7000円。

今回は天竜川に近いということでホテルを決めましたが、朝食がお母さんの手作りのようにおいしくて大正解でした。

 

9月27日(金)

伊那市(9:31)→飯田(11:14)

6:00~7:00、付近を散歩しました。特に何もない所でしたが、少し行くと公園があり、蒸気機関車が展示されていました。

本数が少ないので、何もない所でも9:31発まで待つしかありません。

10:00 持参した辻村深月「ツナグ2-想い人の心得」読了。死者と生者をつなぐという発想が面白くて1は興味深く読みましたが、2となると登場人物やストーリー、思想がよほどよくないと深まりません。

9:31発飯田行きが到着すると小学生がたくさん降りてきました。発車するとみんなが手を振ってくれるのでこちらも手を振ってごあいさつ。そういえば、本数が少ないせいか、線路脇に幼児を連れたお母さんを何組か見ました。やはり手を振ってくれるのでこちらもごあいさつ。

11:14飯田着。徒歩でまわりました。飯田駅→リンゴ並木→飯田市美術博物館→川本喜三郎人形美術館→エコハウス→動物園

少し歩くうちに「来たことがあるなぁ」と思い始め、ノートで確認するとなんと去年の1月にバスで来ていました。まったく覚えていなくて、今回行こうとしていたところはすべて去年来ていたことを知りました。まったくもう。「まったくもう」ではありますが、今回はリンゴ並木にりんごが実っているのでよしとしました。

20分ほどで美術博物館に着いたら休館でした。去年見たからいいや、と自分を慰めてまた歩き出し「まちのカフェ」でねりきりとコーヒーで休憩。その後川本人形美術館、エコハウスを見学し、無料の動物園へ。無料の動物園は草ぼうぼうで清潔とは言えず、有料にしたほうがいいのではないかなどと思いましたが、何組かの親子が楽しそうにしているのもあって、むずかしいところなのでしょう。

ホテルオオハシチェックイン、昨日のホテルとそっくりなため、ちょっと不思議な感覚がしました。朝食付き6200円、ここは動物園に近いということで選んだのですが(去年行ったことを完全に忘れていたので)、昨日のホテルと同系列なのでしょう、同じようにきちんと作られた朝食に大満足しました。

9月28日(土)

(プッチーバス)

①ホテルそばの飯田商工会館(9:44)→リンゴ庁舎→飯田市役所→飯田病院→飯田駅(9:58着)

②飯田駅(10:00)→中央公園→通り町→合同庁舎→美術博物館(10:10)

 

(JR)

飯田(12:20発)→三河東郷(15:24着 16;28発)→豊鉄バス→藤が丘(17:45着)

 

昨日観光案内所で、今日はリンゴ並木あたりが遊歩道になって、無料の電気バス(プッチーバス)が走ると言われたので、まずバスで周遊することにしました。昨日も去年も狭い町を歩き回っているのでもう行きたいところもありません。

プッチー号は遊園地の乗り物のようで最高時速15キロ、行きは私ひとりでした。駅からは二家族が乗って満員。町のガイドさんが10分間だけでしたが町の歴史を説明してくれました。駅からリンゴ並木のあたりまで墓地と民家があったのが昭和22年大火事で焼けてしまった、それで延焼を防ぐために広い道路ができた、家土地は無償で供託した、自分も中学生の時リンゴの木を植えた、とか。城下町の説明もしてくださいました。

美術博物館からまた歩いて飯田駅へ。駅の近辺に休める店はなくて、待合所で1.5時間ほど読書しました。

12:20発の豊橋行きで三河東郷へ。三河東郷で1時間バスを待つ間に二冊目の本湊かなえの「ユートピア」読了。初めての作家でサスペンスとは思わず買ってしまったが、なんだか性格の悪い女たちばかり出てきて後味の悪い小説でした。(そこがいいという読者もいそうですが)

2024年7月 おんたけ

おんたけ休暇村主催のツアーに参加しました。おんたけ休暇村は名古屋市が運営している(?)ので一般の旅行会社のツアーより安価です。これを「旅」と呼ぶことに多少の抵抗を感じつつ、今回はらくらく避暑ツアーのご報告を。

赤沢自然休養林は予想以上のさわやかさで、私たちの団体18人以外ほとんど観光客のいない森でゆっくりすることができました。森林鉄道25分900円。子供のようにワクワク。

16:15休暇村着。すぐに入浴して18:00夕食。

 

2024年6月 浜松

遠州森に実家があるという人からいいところだと聞き、天竜浜名湖線にも乗ってみたかったので出かけました。

6月6日(木) 

JR/名古屋(7:44発)→浜松(8:13着)

遠州鉄道/新浜松(8:48発)→西鹿島(9:21着)

天竜浜名湖線/西鹿島(9:26発)→森町病院前(9:54着11:16発)→遠州森(11:20着12:06発)→掛川(12:30着)

浜松に着いてまずホテルに荷物を預けに行きました。駅から10分のホテルになぜか往復30分以上かかってしまいました。(夕方チェックインするために行った時も道に迷って15分以上かかりました、地図の読めない旅好きです)

遠鉄天浜一日共通乗車券1600円を購入。西鹿島から乗った天浜線の車両は夢のように理想的な車両でした。ディーゼル、一両編成、車内は色とりどりのカーテン(色あせているけれどかのマリメッコ!)と赤い座席カバー。

 森町病院前で降りてききょう寺に行きました。ちょうど咲き始めているころかと期待して行ったのですが、庭園の開園は8日からとのことでききょうは見ることができませんでした。残念でしたが、駅近くで買ったあんバターどら焼きを食べて休憩することにしました。

お寺にはたくさんの石仏が並びそこに一つずつ和尚のつぶやきがついています。曰く「ねたみ、ひがみ、いやみは言うな」「人生に無駄はない」「田の草を取りてそのままこやしかな」「無常とは悲しきことと知る人、安らぎへの道歩めるしるし」一つずつを読んで進んでいくと本堂です。

葉を突き破って咲こうとしているハスの花をみつけました。写真のタイトルはすぐ決まって「突き進む!」。

 

11:06病院前の駅に戻ると、11:16分発がありました。1時間に1本しかないのにラッキーな乗り継ぎでした。病院前から遠州森へ移動して2時間ほどの散歩道を歩く予定をたてていましたが、暑いのとなんの道案内もないことに挫けて、遠州森から掛川まで足を延ばすことにしました。車内は寒いくらい涼しいし。

掛川(12:30着12:45発) バスで資生堂アートハウスをめざしました。これも1時間に1本のバスにたった15分待ちで乗れてラッキーでした。バス20分、着いたらお休みでした。残念、でも資生堂企業資料館は開いていたので見学させてもらいました。とにかくすごい。広い敷地に近代的な建物。一山全部資生堂の敷地かと思う広さで樹々が茂り、アートハウスは閉館でも十分に楽しませてもらいました。展示されているポスターや化粧品の瓶は美術品と言ってもおかしくない美しさでした。同じものをCMで見ているのに、ここで見ると間違いなく芸術品に見えました。一流の人たちが本気で作っているものの力を実感しました。

掛川から天竜二俣で乗り換えて西鹿島へ。乗るたび、見るたび違う車両で鉄オタだったら興奮するに違いない状況です。天竜二俣から乗った車両は窓に網目の細工がしてあり、景色が見づらく車内が暗い。でも線路脇でカメラを構えている人たちがいました。

 

西鹿島から遠鉄で新浜松へ。

この写真は遠鉄の殿様席。まあ、だれでも座って構わないのですが。家康の世界です。

 

新浜松は遠鉄の駅、JR浜松駅と隣接しています。16:20着。とても疲れたと思ってスマホを見たら21,217歩でした。

 

道に迷って無駄に歩くことになるので、ホテルは駅に近い方がいいようです。

 

6月7日(金)

ホテル→浜松城→ジオラマファクトリー→木下惠介記念館

8時にホテルを出て、徒歩10分で浜松城に着きました。浜松城公園は広く、樹々が森のように茂り、鳥がさえずり、散歩する人が数人、太極拳をしている人が一人、それでも歩いていくと誰もいない森の中のようになりました。ちょっとした石に座って鳥の声に耳を傾けました。こういうたった一人の静寂を旅では何度も味わっているなあ、と思いながら。貴重な時間です。

園内の池に亀がいました。この頃妙に亀が好きになったと思って思い返せば、いつだったか家の近くの香流川を散歩して朝の体操をしたときに足元に亀が来てずっと動かずにいたことがありました。亀の隣でラジオ体操。その時から亀と心が通うような気がするようになったのでした。亀に心があれば、の話ですが。

浜松城からジオラマファクトリー、そして木下惠介記念館に行きました。木下惠介作品は見ていないけれど、確かにポスターも芸術でした。今回は芸術作品として作られたものだけが芸術だというわけではないということに気づかされる旅になりました。

2024年5月 広島

 広島空港集合の二泊三日の撮影ツアーに参加しました。広島空港集合なので、集合前日の宿として空港近くのエアポートホテルを予約していました。半日くらい時間があるので三島の街歩きか尾道撮影のどちらかをしようと、迷いましたが、尾道はいいところだけれど二度も行ったことがあるので、今回は行ったことのない三原に行くことにしました。

5月9日(木)

名古屋(7:53)→新大阪(8:57着9:32発)→三原(11:32着)

→バス(13:50発)→広島空港(14:30着)

この頃新幹線では警備の人が増えました。車掌さんより頻繁に歩いています。もう一つ変わったのは停車時間の案内をしなくなったこと、放送で到着時間を調べることのできるアプリを紹介していました。

 

 三原に着いて案内所で相談したら、三原城跡とたくさんの鳥居が連なる大島神社を紹介してくれました。駅近だったのでぐるっと一時間半ほどかけて歩き、当初予定より早いバスで空港を目指しました。バスは13:50発と18:10発の二本しかありません、出てくる前は三原で18時まで遊ぶつもりでしたが、新幹線の中で広島空港について調べていたら、空港近くに遊べそうなところがあることがわかり、早めに空港に行くことにしました。

 広島空港でお好み焼きを食べ(かの有名なお好み焼きのみっちゃん)、ホテルに寄った後、近くの三景園に行きました。

空港からホテルに向かって歩いていたら(ほんの徒歩5分ほど)近くを歩いていた若い男性が自分はホテルのスタッフだと自己紹介してくれました。とても感じのいい若者で、いかにもホテルの人らしくきれいな姿勢で歩いていたので、つい「姿勢がいいですね」とほめてしまいました。

 三景園は空港の開港を記念して作られた築山池泉式庭園ということで、大きな池には鯉が泳ぎ、ほとんど人気のない日本庭園でゆっくり過ごすことができました。

 

翌朝空港の散歩コースを一時間ほど歩きました。

5月10日(金)

広島空港→帝釈峡

撮影ツアーは東京発着のツァーに現地から参加する形だったので、空港で飛行機が着くのを待ちました。参加者は男4人、女5人の全9人でした。この日は空港から二時間ほど走って昼食、その後帝釈峡に行ったあと休暇村に入り、16:30~17:30写真セミナー、そして夕食。

5月11日(土)

帝釈峡→昼食→花面公園→帝釈峡

5月12日(日)

早朝神石高原→朝食→帝釈峡→昼食→空港

3回連続の帝釈峡にはつくづく飽きていましたが、幸か不幸か朝からの雨で景色が変わって美しい緑の撮影に熱中できました。

2024年2月 静岡

三島集合の一泊二日の伊豆の撮影ツアーに参加する前日に静岡県立美術館のロダン館に行くことにしました。

2月25日(日)

名古屋(8:43発)→豊橋(9:37着9:49発)→浜松(10:23着10:25発)→静岡(11:40着)

 静岡駅近くのビジネスホテルに荷物を預けた後、バスに乗って30分、美術館に着きました。ロダンの地獄の門が静岡県立美術館にあると知ってからずっと見たいと思っていたのでした。

地獄の門は世界に7つあるそうで、無知な私は「複数あるってどういうこと?」と不思議でしたが、調べてみたらロダンによって石膏の原型が作られた後、その死後ブロンズで鋳造されたのだそうです。

 地獄の門に作られたいくつかの像が単体として彫像になりました。考える人はその代表です。

 

ダンテの「神曲・地獄篇」も展示されていました。夏目漱石、上田敏、森鴎外、それぞれの訳を見比べるのも興味深いものでした。

 

15:23のバスで駅までもどり、雨が降っていたのでそのままホテルにチェックインしました。ホテルプレジオ、キャンセルがあったのでグレードアップした部屋を用意したと言われて行ってみたら本当にいい部屋でした。素泊まり6696円。

2月26日(月)

静岡(7:37発)→三島(8:43着)

9:20集合でしたが、予定していた電車より一台早い電車に乗りました。三島のドトールでコーヒー休憩。

(今日のコース)

三島駅→修善寺→下田温泉

本来は青野川沿いの河津桜と菜の花の撮影をするはずでしたが、花が終わってしまっていたので予定を変更して、修善寺に行ったあと土産物屋さんの駐車場に咲いていた河津桜を撮りました。

修善寺の梅ももうほとんど散り果てていて、残念な一日でしたが、これはホテルの窓から見えたヤシの木。下田東急ホテル、素敵なホテルでした。

2月27日(火)

(今日のコース)下田温泉→弓ヶ浜(夜明け)→日野の菜の花→滑沢渓谷→三島駅

三島(16:22発)→名古屋(18:06着)

ホテルを5時に出て、弓ヶ浜で夜が明けるのを待ちました。だるま朝日が出るかもしれないと期待したのですが、日が出る直前に雲が出て残念でした。実は朝日の撮影はあまり興味がないのですが、夜明け前の海はしんと空気が澄んで格別です、そんな世界を知ることができたのも写真ツアーに参加したおかげです。

2024年2月 伊勢市

 伊勢市駅近く、河崎の町並み散歩に行きました。

初めの計画は、2月21日に出て河崎の町並みを歩いた後外宮に参拝し、駅の近くのビジネスホテルに一泊し翌日内宮にお参りするのんびり旅でした。が、二日とも雨の予報で急遽ホテルをキャンセル、旅は中止のつもりでした。21日、朝から曇り、雨の気配はありません。日帰りで出ることにしました。

 名古屋を8:37発の快速みえに乗りました。この列車はいつも混むので早めに並んで、2人掛けの窓際をゲット!と思ったらなんと前の4人席に座った女性2人組があっさり私の前のシートをひっくり返して自分たちの席を2人掛けにして私の前に2人掛け席を作ってしまいました。ボックス席になったところに小さな女の子を連れた若いご夫婦が座りました。

わかっていてボックス席にすわったのならなんということもないのですが、心は2人掛けの窓際の態勢を取っていたので、伊勢市駅に着くまでイライラねちねち腹を立てていました。心の狭い女です。

伊勢市駅10時18分着。河崎本通りを商人館まで歩きました。勢田川沿いに蔵の立ち並ぶ古い町並みでした。

途中で出会った夫婦連れに「ここの伊勢うどんはとてもおいしい」と教えてもらいましたが、その前にスーパーで買ったチーズパンとなが餅を神社で休憩しがてら食べてしまっていたので満腹、残念なことをしました。(なが餅は三重県の名物かもしれません、おいしかった)

伊勢市駅に戻ったら、電車が30分ほど遅れていました。タイミングよく来たのに乗って二見浦へ。

 ジパングの切符を窓口で申し込んだとき、名古屋伊勢市間は往復で201キロに少し足りないということで、その先の松下までの切符を作ってもらいました。松下ってどこ?と思ったら、二見浦のひとつ向こう、ならばついでにおひなさまめぐりをしている二見浦に行こうという気になったのでした。

 駅から夫婦岩までの道沿いに点々とお雛様を飾った店が続きます。どういうわけかほとんどの店が閉まっていたので、ひょっとするとこの界隈は火曜休みなのかもしれないと思いながら歩きました。

 夫婦岩は何度かツァーで来ていましたが、電車で来たのは初めて。何かやはり神聖な空気を感じます。

二見浦の駅舎は、夫婦岩を模したものでしょうか。

たくさん歩いて、帰宅の途につきました。18000歩!

 

2023年11月 群馬

今回はわたらせ渓谷鐡道に乗ってみたくて計画を立てました。

 

11月3日(金)

名古屋(8:00)→長野(11:01発11:28着)→高崎(12:19発12:37着)→桐生(13:23発13:35着)→通同(15:10発15:17着)→沢入(15:30着)→旅館

 数日前に特急「しなの」の指定を取りに行ったら満席だったため、7時過ぎから名古屋駅で並びました。予想通り電車は混み、立っている人をたくさん乗せて出発しました。(外国の人がめだちました) 9時半頃、塩尻が近づくにつれて山の紅葉が濃くなっていき、奈良井のあたりで本格的にきれいになりました。

長野で特急から北陸新幹線あさまに乗り換えて高崎、高崎から桐生へ。桐生からはわたらせ渓谷鐡道です。たまたま着く時間に乗れるのがトロッコ電車しかなかったのでそれに乗りました。窓のない車両の指定席は数週間前に売り切れていて普通の車両に乗りましたが、トロッコ列車としての追加料金520円はきっちり取られました。なんか、納得できない…ボックス席で83歳のおばあさんとその孫という女性が一緒になりました。おかあさんから今朝「おばあちゃんがひとりででかけちゃう」という電話がかかってきたのであわててついてきたとお孫さん。旅好きのおばあさんで、あちこち出かけたという話をしてくれました。私もいつまで一人旅ができることやら、と考えました。

 沢入で降りて駅の写真を撮る予定でしたが、被写体としての駅に食指が動かなかったのでもう一駅乗って時間調整をすることにしました。ずっと乗りたいと思っていたわたらせ鐡道でしたが、渓谷美も中央線沿いの方が美しいし、なによりもっと美しいところは全国にたくさんあったし、駅も電車もなんとなく触りたくないような・・・。 

4時半に宿のご主人に迎えに来てもらいました。宿は小中駅からは数分なのに道が崩れて通れなくなっているということでした。

親切なご主人と奥さんに迎えられて入った部屋には蚊帳とこたつがありました。食事も手の込んだものでこれで8900円では申し訳ないと思いましたが、性格でしょう、気が張ってしまって疲れました。私にはビジネスライクな町のビジネスホテルが向いているようです。

翌日、富弘美術館まで送ってもらいました。

 

11月4日(土)

美術館(10:45)→バス→神戸駅(10:55着11:40発)→桐生(12:45)

 

痛みを感じるのは

生きているから

悩みがあるのは

生きているから

傷つくのは

生きているから

私は今

かなり生きているぞ

(生きているから)

 

「かなり生きている」という言葉に惹かれて書き写しましたが、どうしてかなあ、書き写したらつまらなくなってしまいました。

詩は(詩に限らず、文芸作品は)作者の背景や生き方、背負っているものを知って読むのと知らずに読むのとではどうしても違いが出てきます。私は自分の背負っている背景に支えられなくても立っている詩を書きたいと思ったりしました。

美術館からバスで神戸駅へ。観光バスからわっしー号に乗るためのお客さんがたくさん降りてきて、下りのわっしー号は3両編成になっていました。神戸駅はふだんはいない駅員さんもいて、お土産を売ったり切符の説明をしたり、活気づいていました。

神戸駅の後は大間々駅に下車する予定でしたが、わたらせ鉄道に飽きたのでそのまま桐生へ移動しました。景色のいいところを走る電車は窓ガラスくらい磨けばいいのにといつも思います。人手がないのでしょうが、電車を洗おうイベントとかしたら鉄オタにはウケルのじゃないかなあ。

桐生の街歩きをしていたら「上毛芸術線」というアートイベントをしていたので3か所見ました。若者のアート。

「鉄道路線等の沿線で行われる沿線開発にかけて、前橋・みどり・桐生をつなぐ上毛電鉄沿線のまだ見ぬご縁をつないでいくアートイベントです」ということで。

たくさん歩きました。桐生織物記念館に展示してあった織物がすごく素敵でした。はぎれやちょっとしたバックなどお手頃価格で販売もされていたのに買わなかったことを後悔しています。

よく知らないけど坂口安吾の碑もみつけました。パークイン桐生泊、素泊まり6200円。

11月5日(日)

桐生(8:11)→前橋(8:42)→徒歩→前橋文学館→徒歩→前橋(11:25発)→高崎(11:50)→バス→山田かまち美術館→徒歩→高崎

桐生駅で電車を待っていたら、夫婦と思われる中年の男女が階段を上ってきて、そのすぐ後から来たおばあさんが女性の来ているワンピースを指さして何か言いました。男女は完全無視。おばあさんはこっちに来て「あの奥さんのワンピース、かわいいね」と言いました。奥さん、ありがとうぐらいいってもいいのに。関西だったら会話が始まっていたかもしれないのにと思いました。おもわずそれが群馬流?と。

 前橋に着いて今回の2つ目の目的「前橋文学館」を目指しました。駅から徒歩20分、萩原朔太郎についてのビデオを見た後ムットーニ劇場という不思議なシアターを見せてもらいました。その後駅に戻ってから山田かまち美術館に行きました。山田かまちは17歳でエレキギターで感電死した天才。絵は本当にうまく、ノートに残された詩や文章は思春期の痛みにあふれていました。

11月6日(月)

高崎(8:21)→長野(9:12着10:00発)→千種(12:52)

長野駅のホームに現金の使えない売店がありました。レジにも人がいなくて、すべてセルフ。時代の変化の速さに目が回ります。地元にはスマホも使わない友人がいるけれど…。

 

朝井リョウ「正欲」読了。映画化もされるらしい。特殊な性欲を持つ人たちの話で、どう映画化されるのか見てみたい気がしました。多様性の時代?どうしてあんなに人の目や人の価値観が気になるのだろうと思ってしまいます。若い人の小説を読むと現在というものがわかります。その後中村文則「何もかも憂鬱な夜に」読了。重い小説でした。

2023年10月 いわき

草野心平記念文学館以外はノープランの3泊4日の旅。これまでどんな旅も事前に分単位で計画していました。(出てから変更を余儀なくされることはままありましたが) そうしたい性格なのですが、だんだんそれがきつくなってきていました。事前に計画すると「机上の計画」になりがちで、計算上はOKでもその通りに動くためにかなり無理をすることが多かったのです。今回はわけあって急な出発になったので宿だけ決めてノープランで行くことにしました。

10月21日(土)

名古屋(11:31)→東京(13:12着13:36発)→郡山(14:56着)

午前中の用をすませて11時31分発のひかりで出発、郡山に3時ころに着きました。

ちょっと早く着いたので町中散歩。ここいらで一番高いという建物の22階からの景色を見ました。

アルファーワン東口泊

10月22日(日)

郡山(7:59)→小川郷(9:24)  草野心平記念文学館 小川郷(15:03発)→いわき(15:15着)

 ゆうゆうあぶくまラインで小川郷まで。これはJR磐越東線でディーゼル機関車です。ゴトンゴトンという音もトンネルに入る前に鳴らす警笛ものどかでほっとさせてくれます。窓外は山、駅近くだけ民家と田園、天候に恵まれて青空に浮かぶ真っ白い雲を眺めてのんびりしていました。斜め前のボックス席に男の子とそのおじいさんが座りました。一時間あるからゲームをしててもいいというおじいさんに「一時間って六十秒でしょ」と大きな声で言っています。いくつくらいでしょう、そのうち若い女性の車掌さんが切符の点検に回ってきて「何をするの?」「魚釣り!」「何を釣るの?」「アジ!」「アジは唐揚げがおいしいね」などと会話が始まり、おじいさんは駅から釣り場までのバスの乗り方を聞いて車掌さんがタブレットで調べていました。のどかです。旅のしあわせです。

小川郷駅から文学館まではタクシーしかないと言われていたので、事前に調べておいたタクシー会社に電話をしましたが、3社かけて全部に断られました。困って文学館に電話をしたら迎えに来てくれました。食事をするところもないだろうと予想してパンを持って行ったのは正解でした。電車は14:58発までありません。文学館は予想以上に充実していて、時間まで十分楽しめました。そして、帰りのタクシーにも断られたので駅まで送ってもらいました。途中まだ時間があるからということで草野心平の生家にも寄ってくださいました。とても親切にしてもらいました。

小川郷14:48発の列車が15分ほど遅れてきました。無人駅なのに適宜放送が入るのが不思議。いわきに着いた後観光案内所で相談して翌日の予定をたてました。サンライズいわき朝食付き2泊15100円

 道を歩いていてふと山村暮鳥の「おうい雲よ」の最終行の「ずっと磐城平の方までいくんか」の磐城平といわきが結びつきました。迂闊なことです。けれど確かにそんな雲のある日でした。

10月23日(月)

いわき(7:51)→久ノ浜(8:05)

案内所で教えてもらった弁天島を目指しました。住宅がどれも新しくて、震災の後に建てられたものであることがわかります。道も歩きやすく、防波堤としての松林が作られています。天候に恵まれて気持ちのいいウォーキングになりました。目的の弁天島は波立海岸にありました。そこから道の駅四ツ倉を通って、四ツ倉駅まで、全行程3時間ほどでした。暑かった、海以外なんにもなかった、誰にも会わなかったと、瞑想のようなウォーキングになりました。

四ツ倉(10:36)→湯本(11:57)

案内所では薄磯海水浴場の灯台を勧められたけれど、海に飽きてしまったので、温泉地に行くことにしました。 

湯本温泉

駅から町をぐるっと回りましたが、大きな温泉宿以外は特に何もなくて、普段は不潔な気がして入らない足湯を使いました。海岸ウォーキングで疲れた足がとても楽になりました。湯本温泉は有馬温泉、道後温泉と並んで日本三古泉に選ばれているということで温泉好きなら日帰り温泉お勧めです。

10月24日(火)

いわき(8:30)→郡山(10:03着10:30発)→東京(11:48着12:00発)→名古屋

いわきから郡山まで1690円、水戸までも1690円、いわきはもっと東北寄りかと思っていましたがあらためてこんな距離なのだと知りました。東京も近い。また、いわきから郡山まで1時間半、郡山から東京まで1時間半、東京から名古屋までも1時間半。それもなんだか不思議。

今回、ノープランだったのでずいぶん手抜きの旅になりました。でも気持ちも体もラクで、もうそんなにガツガツした旅をしなくてもいいかなと思う旅でした。