2023年6月

詩と写真の個人誌、もう32号になりした。読んでくださる方にお送りします。

2022年1月

詩と写真の個人誌29号ができました。

読んでくださる方はご連絡ください。

2021年7月

2021年3月5日から5月6日まで大宮の図書館で永井陽子さんの展示会がありました。

20年前、大宮に文学館ができるということで遺品のほとんどを寄贈したのですが、大合併のあおりをうけて文学館がとん挫し、寄贈した遺品はそのまま氷漬けされていました。このたびようやく展示会。

 

永井陽子さんのお姉さんから新聞記事とレジュメをいただきました。

2020年2月

2019年4月3日

3月14日から19日まで四国お遍路に出かけてとうとう結願しました。

2016年秋に始めて全7回。全部で1回の長い旅のようでした。

4月3日、4日と1泊2日で高野山にお礼のお参りに行きました。

名古屋からJR在来線を大垣、米原、大阪と乗り継いで新今宮まで、新今宮からは南海高野線で橋本、極楽橋まで行き、そこからケーブルで高野山へ。半日位かかりました。橋本で50日間歩き遍路をしてきたと言う女の人と会いました。その人も、いろいろな人にあったようです。中でも印象的だったのは、1年前に奥さんを亡くした男性の話で、一人暮らしになったのでそれからずっと車でお遍路をしていると言うことでした。家にひとりでいるよりは遍路に出た方が人と出会ってしゃべったり食事も宿で食べることができるのでいいと言っていたそうです。お遍路の1番の幸せは、こういうところにあるのかもしれないと思いました。

2019年3月21日

 富士フィルムフォトコンテストにフォトブック部門があることを知って、何気なく応募したらなんと優秀賞をいただいてしまいました。

4月には東京で表彰式があり、その後大阪、福岡、札幌、名古屋で発表展があります。

東京は4月12日から18日、名古屋は7月26日から8月1日。

思いがけないハッピーでした。

 

2016年10月20日

 先週の土曜日、愛知県の高校の文芸部の生徒さん20人とその顧問の先生方に詩のお話をしてきました。

 短歌を書かれている方がその責任者をされていて、その方のご紹介でした。

話があちこちいくようですが、その方は永井陽子さんをご存じで永井さん通じて私のことも知っておられたのでした。

 

高校生の詩は初々しくて、「今どきの子たちはどうなのかしら」と興味津々で出かけたのですが、昔の自分と変わらない感受性と反抗心、好奇心をもった子たちに出会えました。

 

いい経験をさせてもらえました。

 

永井さんの出身の瀬戸高校で「永井陽子短歌大賞」を設定して募集しているそうです。

今は詩より短歌の方が人気が高いので、いい作品がたくさん集まりそうです。

 

 

2016年9月17日

 飛墨会書展に行ってきました。

18歳で永井陽子という歌人と出会い、詩と短歌の同人誌『詩線』をはじめて39歳になるまで続けました。全部で32冊。最後の号はB4用紙一枚のおわかれのあいさつでしたが。その後彼女が亡くなるまでの約10年間のことは思い出すこともつらい歳月でした。

今回、会に参加していろいろなことを感じたのですが、一つだけ記しておきます。

 

「べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊」

この短歌をラジオパーソナリティの方が元気に読まれました。

そして、それを聞いた帰り道、一緒に参加したもう一人の友人が「べくのうた、少し違うふうに私は思う」と言い、それは私も感じたことでした。

私たちは「こうすべきだ」という世間の要求に苦しみぬいていた永井さんを自分のことのように知っているから、明るく楽しくは読めないのです。どんな思いでここですずやかな「すずかけ並木」を出したのか想像できてしまうのです。

 

すぐれた作品は作者の手を離れ、作者を超える、とつくづく思いました。

 

「ひとの知らぬ愛しみなればなみなみと盛る天空の瑠璃の器に」(蓑虫伝説)

家に帰って「詩線」31を開いたらこんな歌がありました。

この歌を読んで、すぐれた作品とはこの天空の瑠璃の器のようなものだと思ったのです。この器に作者自身の具体的な苦しみや悲しみを盛ってはいけない。「なみなみと盛る」といいながら、決して具体的な自分というものを見せていない。空っぽの器を差し出しているだけなのです。だからそこに読者は自分の愛しみを盛ることができる。

 

 詩は読まれたときに成立すると考えています。一つの詩には読み手の数だけの詩があると。

短歌も同じ。

 

で、自らを振り返ってみて

どこを切っても「大西美千代」な詩を量産していることを

これでいいのかなあ、と思ったりもしている次第です。

 

 

 

 

 

 

 

詩線終刊号。

B4一枚を半分に折って表に表紙、裏にそれぞれの作品を載せました。

2016年8月19日

 高橋源一郎の「非常時のことば」(朝日文庫)を読みました。3.11の震災以降「ことばを失った」という高橋源一郎が選んだ文章がたくさん紹介されています。ひどすぎる現実の前に、のんきに、考えなしに発せられた言葉は受け付けられないという高橋源一郎の人としての誠実さに共感しつつ、少し違和感を感じています。

 戦後、戦争を体験した人たちが書いた戦後詩、まさしくその時代の空気を濃厚にまとった、「荒地」「列島」の詩は今読むと上手いけれど共感の余地がないと感じます。逆に時代の空気から背を向けたような大岡信の詩は今の私たちが読んでも心にしみてきます。それは単に抒情詩だから、ということではないと思います。

 だんだん頭が悪くなってきたみたいで、ちゃんとした文章をまとめるのが億劫になってしまったのでこれくらいにしておきますが、この本を読んで紹介したかったことは川上弘美の「神様(2011)」が先に書かれた「神様」と重ね合わせるようにして載せられているということです。「神様」は20年ほど前に川上弘美が発表した短い小説で、くまとわたしが散歩するというあっさりしたお話なのですが、それをほとんど変えずに舞台だけ2011年3月11日以降の福島にしています。たとえば「神様」で(ちかごろの引越しには珍しく、引越しそばを同じ階の住人にふるまい)になっている部分は「神様(2011)」では(ちかごろの引越しには珍しく、このマンションに残っている三世帯の住人全員に引越しそばをふるまい)に書き換えています。

これは、本当にすごい。ぜひ、皆さんに読んでもらいたいと思います。

2015年6月4日

植木に花が咲きました。

この木には物語があります。


会社を退職したときに後輩から観葉植物をもらいましたが、退職記念に長旅をするので母に預けて出ました。

20日ほどして帰ってきたら、鉢の植物が観葉植物から山で見かけるような木の小さいものに変わっていました。

私がいない間に枯らしてしまったのを母が植え替えていたのです。


あれから3年。木はすくすく育って、母が亡くなって初めての春、今年小さな花をつけました。