2021年7月

2021年3月5日から5月6日まで大宮の図書館で永井陽子さんの展示会がありました。

20年前、大宮に文学館ができるということで遺品のほとんどを寄贈したのですが、大合併のあおりをうけて文学館がとん挫し、寄贈した遺品はそのまま氷漬けされていました。このたびようやく展示会。

 

永井陽子さんのお姉さんから新聞記事とレジュメをいただきました。

2020年2月

2019年3月21日

 富士フィルムフォトコンテストにフォトブック部門があることを知って、何気なく応募したらなんと優秀賞をいただいてしまいました。

4月には東京で表彰式があり、その後大阪、福岡、札幌、名古屋で発表展があります。

東京は4月12日から18日、名古屋は7月26日から8月1日。

思いがけないハッピーでした。

 

2016年10月20日

 先週の土曜日、愛知県の高校の文芸部の生徒さん20人とその顧問の先生方に詩のお話をしてきました。

 短歌を書かれている方がその責任者をされていて、その方のご紹介でした。

話があちこちいくようですが、その方は永井陽子さんをご存じで永井さん通じて私のことも知っておられたのでした。

 

高校生の詩は初々しくて、「今どきの子たちはどうなのかしら」と興味津々で出かけたのですが、昔の自分と変わらない感受性と反抗心、好奇心をもった子たちに出会えました。

 

いい経験をさせてもらえました。

 

永井さんの出身の瀬戸高校で「永井陽子短歌大賞」を設定して募集しているそうです。

今は詩より短歌の方が人気が高いので、いい作品がたくさん集まりそうです。

 

 

2016年9月17日

 飛墨会書展に行ってきました。

18歳で永井陽子という歌人と出会い、詩と短歌の同人誌『詩線』をはじめて39歳になるまで続けました。全部で32冊。最後の号はB4用紙一枚のおわかれのあいさつでしたが。その後彼女が亡くなるまでの約10年間のことは思い出すこともつらい歳月でした。

今回、会に参加していろいろなことを感じたのですが、一つだけ記しておきます。

 

「べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊」

この短歌をラジオパーソナリティの方が元気に読まれました。

そして、それを聞いた帰り道、一緒に参加したもう一人の友人が「べくのうた、少し違うふうに私は思う」と言い、それは私も感じたことでした。

私たちは「こうすべきだ」という世間の要求に苦しみぬいていた永井さんを自分のことのように知っているから、明るく楽しくは読めないのです。どんな思いでここですずやかな「すずかけ並木」を出したのか想像できてしまうのです。

 

すぐれた作品は作者の手を離れ、作者を超える、とつくづく思いました。

 

「ひとの知らぬ愛しみなればなみなみと盛る天空の瑠璃の器に」(蓑虫伝説)

家に帰って「詩線」31を開いたらこんな歌がありました。

この歌を読んで、すぐれた作品とはこの天空の瑠璃の器のようなものだと思ったのです。この器に作者自身の具体的な苦しみや悲しみを盛ってはいけない。「なみなみと盛る」といいながら、決して具体的な自分というものを見せていない。空っぽの器を差し出しているだけなのです。だからそこに読者は自分の愛しみを盛ることができる。

 

 詩は読まれたときに成立すると考えています。一つの詩には読み手の数だけの詩があると。

短歌も同じ。

 

で、自らを振り返ってみて

どこを切っても「大西美千代」な詩を量産していることを

これでいいのかなあ、と思ったりもしている次第です。

 

 

 

 

 

 

 

詩線終刊号。

B4一枚を半分に折って表に表紙、裏にそれぞれの作品を載せました。

2015年6月4日

植木に花が咲きました。

この木には物語があります。


会社を退職したときに後輩から観葉植物をもらいましたが、退職記念に長旅をするので母に預けて出ました。

20日ほどして帰ってきたら、鉢の植物が観葉植物から山で見かけるような木の小さいものに変わっていました。

私がいない間に枯らしてしまったのを母が植え替えていたのです。


あれから3年。木はすくすく育って、母が亡くなって初めての春、今年小さな花をつけました。